2026年6月17日水曜日

一発勝負が生み出す真剣さと集中力

運動あそび研究家のおさだあつしです。

最近、「一発勝負」という場面が少なくなっているように感じます。

ゲームを例にするとわかりやすいかもしれません。
昔のゲームは、一度失敗したら最初からやり直しというものも多くありました。
しかし今は、途中から再開できたり、何度でもコンティニューできたりします。
もちろん、それ自体が悪いことではありません。
何度も挑戦できることで失敗を恐れずチャレンジできますし、学びの機会も増えます。
ただ、その一方で失われつつあるものもあるのではないかと思います。
それは、

「後がない」という状況が生み出す真剣さや集中力です。

アメリカンドッジボールの良さと限界


運動遊びの中でも同じことを感じます。

例えば、うちの教室でもボール遊びの導入としてよく行う「アメリカンドッジボール」。
このルールでは、ボールに当たっても相手チームに移動してそのままゲームを続けられます。
そのため、誰も外で待つことがなく、全員がずっと参加できます。
能力差があっても楽しみやすく、みんなで同じ体験を共有できる素晴らしい遊びです。
だからこそ、導入としてはとても優れています。
しかし、こればかりになってしまうと少し物足りなさも感じます。
なぜなら、

「絶対に当たりたくない」という感覚が薄くなるからです。

当たっても終わりではない。
また続けられる。
そう思うと、人は無意識のうちにどこか余裕を持ってしまいます。


鬼ごっこでも同じことが起きる


鬼ごっこでも復活ルールを取り入れることがあります。
仲間に助けてもらう。
協力する。
声をかける。
こうした経験には大きな教育的意味があります。
だから僕もよく行います。
しかし、発達段階や状況によっては、あえて復活なしのルールにすることがあります。
一度捕まったら終わり。
ゲームオーバーです。
すると子どもたちの表情が変わります。
絶対に捕まりたくない
どう動けば逃げ切れるか
今どこに鬼がいるか
そんなことを必死に考え始めます。
その瞬間、集中力が一気に高まるのです。

音楽の世界でも同じだった

長年音楽業界で仕事をしている知人から、興味深い話を聞きました。
その方は色んなミュージシャンのレコーディングの仕事にも携わっていました。
昔のバンドは、一発録りが多かったそうです。
メンバー全員が同じ空間に集まり、
「せーの」
で同時に演奏して録音する。
失敗したら最初からやり直し。
まさに一発勝負です。

でも、現在は技術が進歩し、個別に録音したものを後から編集し、一つの作品として仕上げることも珍しくないそうです。

もちろん音質や精度は向上しています。
それでも、その知人はこう言っていました。

「最終的に心を動かす作品や名曲は、一発録りの方が多い」

理由を完全に言語化するのは難しいそうですが、長年の経験から明らかな違いを感じるそうです。
おそらく演奏者自身が、

「今しかない」
「失敗できない」

という状態になることで、普段以上の集中力やエネルギーが引き出されるのでしょう。
人間は後がない時に本気になる

ドッジボールも鬼ごっこも音楽も、本質的には同じなのかもしれません。
人間は「後がない」ときに本気になります。
集中力が高まり、感覚が研ぎ澄まされます。
普段は発揮できない力が引き出されることもあります。
もちろん、常に一発勝負である必要はありません。
何度も挑戦できる環境も大切です。
失敗してもやり直せる安心感も必要です。
しかし、それだけでは育たないものもあります。
だから僕は、時々でいいので、

「失敗したら終わり」

という経験も必要だと思っています。

自然の中にある本物の集中


現代社会では、本当に集中しなければならない場面が少なくなっています。
便利になり、安全になり、多くのことがやり直せるようになりました。
それは素晴らしいことだと思います。
しかし一方で、人間本来の集中力を発揮する機会は減っているのかもしれません。
だからこそ僕は、子どもたちに自然の中で遊ぶ経験を大切にしてほしいと思っています。

山を歩く。

川で遊ぶ。

海へ行く。

そこには予測できない出来事があります。
転ぶかもしれない。
流されるかもしれない。
道を間違えるかもしれない。
もちろん無謀な危険を冒す必要はありません。

しかし、
「少しだけ緊張する環境」
に身を置くことで、人は驚くほど真剣になります。
周囲をよく見る。
考える。
判断する。
そして、生きることそのものに集中します。

おわりに

何度でもやり直せる世界は、とても優しい世界です。
しかし、人を大きく成長させるのは、時として「後がない」という状況なのかもしれません。
運動遊びでも、スポーツでも、音楽でも、自然体験でも同じです。
一発勝負だからこそ生まれる真剣さ。
失敗できないからこそ引き出される集中力。
現代は失敗しにくい環境をつくることが重視されています。
それは大切なことです。
けれど同時に、人が本来持っている力を引き出すためには、少しだけ緊張感のある環境も必要なのではないでしょうか。

僕は、

「挑戦を支える安心感」と
「本気を引き出す緊張感」

その両方があってこそ、人は成長すると感じています。
そんな経験を、子どもたちにも大人にも、時々は味わってほしいと思っています。

2026年4月28日火曜日

運動は「楽しむこと」から始まる ― 教室11年目に感じたこと


改めまして、
僕は神奈川県川崎市で、子ども向け運動教室のコーチと、大人向けパーソナルトレーナーとして活動しています。

現在は3歳のお子さまから85歳前後の方まで、幅広い年代の方に運動指導や身体づくりのサポートを行っています。

僕がこの教室でずっと大切にしてきたことがあります。
それは、運動はまず「楽しむこと」が土台であるという考え方です。

世の中には、成果・技術・勝敗を重視する場面も多くあります。もちろんそれらも大切です。
ただ、子どもの時期に最も重要なのは、「運動って楽しい」「またやりたい」と思える経験だと僕は考えています。

そういえば、この春に卒業した中学生が、教室へ遊びに来てくれました。

その日いた中学生クラスのメンバーと一緒に、PK対決やサッカーで自然に交流が始まりました。
その姿を見て、改めて感じたことがあります。

それは、年齢が上がると強くなりがちな「勝たなければ意味がない」という空気よりも、
プレーそのものを楽しみ、仲間のナイスプレーを称え合う姿勢がしっかり残っていたことです。

小さい頃から「楽しむこと」を中心に運動と関わってきた子は、
運動を苦行ではなく、人生の中の前向きな時間として捉えやすくなります。
卒業後もその感覚が続いていたことは、僕にとって非常に嬉しい出来事でした。

当教室では、走る・跳ぶ・投げる・避ける・考える・協力する。
そういった要素を、遊びの中に自然に組み込んでいます。

外から見ると、ただ自由に遊んでいるように見えるかもしれません。

しかし実際にはその中で、身体の使い方

判断力
協調性
挑戦する心
継続する力
失敗を受け入れる経験

こうした、人生全体に関わる土台が育っていきます。

短期的な成果だけでは測れない価値が、そこにはあります。


教室を始めてまる10年。すでに11年目に入っています。

続けてきた中で確信していることがあります。
それは、運動を好きになること以上に価値のあるスタートはないということです。

速く走れることより、上手くできることより、勝つことよりも先に、

「身体を動かすって楽しい」
「またやりたい」
「仲間とやると面白い」

そう思える子どもを増やしていきたい。

これからも、そんな場所を地域の中で育てていけたらと思います。

2026年4月23日木曜日

「習わせる」と「夢中になる」は別の話だと思う

運動あそび研究家のあっつです。

その昔....尾崎豊にまつわるこんな話があります。

ギターに夢中になっていた尾崎豊少年に対して、親が
「そんなに好きならギター教室に行くか?」
と声をかけたそうです。

すると本人は、
「そういうことじゃないんだよな」
と感じたと言われています。

この話、僕はとても本質的だと思うし、なぜかずっと印象に残っています。

多分、子どもも同じだと思うからなんでしょうね。

身体を動かすのが好きそうだから、運動教室。
ボール遊びが好きだから、すぐ習い事。
足が速そうだから、陸上クラブ。

もちろんそれが合う子もいると思いますが、
でも、全員がそうではないはずです。

本当に必要なのは、
技術を習うことより前に、夢中になれること
何度もやりたくなること
自分から試したくなること
失敗してもまた挑戦したくなること

こうした内側から湧くエネルギーだと思うんです。

大人はすぐに「教える」「習わせる」「上達させる」に向かいがちですど、
その前に大切なのは、

子どもが勝手に繰り返してしまう環境をつくること。

ゴールデンエイジクラブでも、まずそこを大事にしています。

遊びながら跳ぶ。
遊びながら走る。
遊びながら避ける。
遊びながら考える。

すると子どもは、こちらが止めるまで続けます。

それは才能ではなく、
夢中になっている証拠です。

それに、子どもはそもそも創造力が豊かなので、
何もなくても好き勝手に自分の世界観をつくって
夢中で遊び続けますよね。

教えることより、燃えること。
上達させることより、熱中させること。

子ども、もっと言うと人間の成長は、そこから始まると思います。


2026年1月13日火曜日

高尾山で学ぶ「身体感覚」と「友達への関心」

こんにちは!運動あそび研究家のあっつです!
2026年1月12日。
年に数回行っている、ゴールデンエイジクラブ中学生クラスの「外あそびの日」。

今回は、高尾山におじゃましました。


高尾山は、登山としては決してきつい山ではありません。
けれど、身体を学ぶ場所としては、とても優れた環境だと感じています。
登山は、身体感覚の学びの連続。


登山では、常に判断が求められます。

足元の不安定さ。
呼吸の変化。
疲れが出てきたときに、どう進むか、どう休むか。


誰かに答えを教えてもらうのではなく、
自分の身体が出しているサインを、自分で受け取る。

登山中に起きていることは、とてもシンプルですが、
日常生活では意外と見過ごされがちな感覚ばかりです。


「今、自分はどんな状態なのか」

山は、それをはっきりと教えてくれます。
登山は「関心」を育てる時間

もうひとつ、登山の大きな価値は
一緒に行く仲間に関心を向ける時間になることだと思っています。

速さを競うわけでもなく、
上手さを比べるわけでもない。

大切なのは、
一緒に進むこと。

誰かが遅れていないか。
疲れていないか。
声をかけるタイミングは今か。

不安定な足元や疲れがあるからこそ、
自然と視線は自分の外に向かいます。

これは、運動技術の練習だけでは
なかなか育ちにくい感覚です。
「うまくなる」前に、大事な土台

近年は、
・どれだけ跳べるか
・どれだけ速く走れるか
・どれだけ強くなれるか

といった成果が目に見える部分に
注目が集まりやすいと感じます。

もちろん、それらも大切です。

ただ、その前に必要なのが、
自分の身体を感じ取る力と
人に関心を向けられる力。



登山は、その両方を同時に育ててくれます。
それぞれが、身体で持ち帰ったもの

山頂から見えた景色も、
沢沿いの冷たい空気も、
滑りやすい石の感触も、

きっと全員が、少しずつ違う形で
身体に残してくれたと思います。

昨日の高尾山トレッキングは、
「動くこと」と
「一緒に進むこと」の意味を、
頭ではなく、身体で学ぶ一日でした。

こうした外あそびの時間を、
これからも大切にしていきたいと思います♪




2026年1月6日火曜日

3年続けてわかった、スケートリンクという最高の運動あそび

今年の冬も、スケートリンクでの運動あそびに行ってきました!



実はこのスケート、今年が初めてではなく、
ここ3年、毎年冬に続けています。

スケートリンクでの運動あそびについては、
昨年の記事でも感じたことをまとめています。

👉 去年の記録はこちら
https://atsushiosd.blogspot.com/2025/02/blog-post.html

屋外のようで屋内。
広くて、滑って、転んで、また立ち上がる。

この環境そのものが、
子どもたちにとっての「教材」だなと、
年を重ねるごとに、よりはっきり感じるようになりました。

初めて来た年は、
息子は「立つだけで必死」。

歩こうとしても足が前に出ない。
思った方向に進めない。
少しスピードが出ると、怖くなって止まれない。

でも、それでいいのだと思います。

スケートリンクでは
・うまくやること
・きれいに滑ること
よりも、

どう感じて、どう工夫するかが、何より大切だと思っています。

転んだら「どうやって立つ?」
滑りすぎたら「どうやったら止まれる?」

誰かに正解を教えてもらう前に、
身体が先に考え始めるんです。

これは、この3年間ずっと変わらず見てきた光景です。

面白いのは、
毎年同じ場所、同じスケートリンクでも、
息子の反応は少しずつ違うこと。

・去年より転ばなくなった
・最初からスピードを出せるようになった
・怖さを知った上で、あえて挑戦する
・友だちの動きを見て学ぶ

経験が積み重なることで、
「できる・できない」ではなく、
関わり方そのものが変わっていくのを感じます。

スケートは、
バランス
体幹
足裏感覚
視野
そして、怖さとの付き合い方

それらを、特別な説明なしに引き出してくれます。

しかも、やらされていない。

気づいたら何周も回っている。
気づいたら汗をかいている。
気づいたら、去年の自分を超えている。

これは体育でも、トレーニングでもなく、
あそびの力だと思っています!

3年続けてきて、確信していることがあります。

上手になることより、
続けたくなること。

怖さをなくすより、
怖さと仲良くなること。

スケートリンクは、
それを毎年、静かに教えてくれる場所です。

案の定、また行きたい!と自ら言っておりました。

2026年も、
こうした「環境を活かした運動あそび」を、
変わらず大切にしていきたいと思います。